2023年2月17日 中部国際空港開港記念日

空港ってエラライン利用だけじゃなく、お風呂やサウナもあるのね。飛行機を眺めながら、お風呂というのもよさげですな。

セントレア
セントレア豆知識

今日は2月17日金曜日
中部国際空港開港記念日

2005年のこの日、愛知県常滑市沖に中部国際空港(愛称 セントレア)が開港しました。
愛知県名古屋市の中心部から南へ約35km、知多半島の愛知県常滑市の沖合約1.5kmの伊勢湾海上の人工島に位置します。24時間運用可能な長さ3,500mの滑走路を持ち、関西国際空港に次ぐ国内第2の海上国際空港として開港しました。東京国際空港、成田国際空港、関西国際空港とともに国際航空路線に必要な国際拠点空港としてその航空需要を担うことを国の航空政策上位置づけられています。

さて、そのセントレアで航空ファンによる航空ファンのためのイベントが開催されます。監修協力に航空写真家チャーリィ古庄氏を迎えての「航空ファンのため」に開催するイベントです。2017年に本格的に定期開催が決まってから、今回で7回目の開催。今回も航空業界が一丸となってみなさまにお楽しみいただける企画を用意したとのこと。開催日時:2023 2.18土 19日 10:00~15:00
会場:中部国際空港第一ターミナル 4F イベントプラザ / 3F 特別待合室

また、空港内の総合リラクゼーション施設『くつろぎ処』が、セントレア開港18周年の開港記念日である2023年2月17日(金)リニューアルオープンします。
温浴施設「展望風呂 『SOLA SPA 風の湯』」、お風呂に浸かりながら離着陸する飛行機や、海を眺めることができるのはもちろん!展望デッキでは、「サウナイベント」の定期開催も予定。漫画や新聞を読みながらくつろげる無料のリラクゼーションスペースを新たに登場!疲れた体をお風呂とサウナでリフレッシュ。飛行機の乗降だけでなく、いろいろ楽しそうです。お出かけになってはいかが。

天使の囁きの日

北海道幌加内町の「天使の囁きを聴く会」が1994年に制定。天使の囁きとは、空気中の水蒸気が凍ってできるダイヤモンドダストのことで。
1978(昭和53)年のこの日、幌加内町母子里の北大演習林で氷点下41.2℃という最低気温が記録されました。寒っ。
しかし、気象庁の公式記録の対象から外れていたため、1902(明治35)年1月25日に旭川市で記録された氷点下41.0℃が公式の日本最低気温となっています。
これをプラスイメージに変えようと、町内の若者グループが中心となり、この日ダイヤモンドダストの観察等厳冬の一夜を体験する「天使の囁きを聴く集い」を1987(昭和62)年から開催しています。アイスキャンドルサービスや、白樺並木のライトアップなどさまざまなイベントが行われます。

    千切り大根(切干大根)の日

    広島県福山市の乾燥食品メーカー・こだま食品が2010年に制定。
    千切り大根の生産が2月に最盛期を迎えることと、「千」の字を「二」と「1」に見立て、「切」の字の「七」を合わせて2月17日とした。

      独立記念日 [コソボ]

      2008年のこの日、セルビア共和国コソボ自治州がコソボ共和国として、セルビアより一方的に独立を宣言した。

      コソボ共和国の概要

      面積:10,908平方キロメートル(岐阜県に相当)
      人口:179万人(2021年、世銀)
      首都:プリシュティナ(人口60万人、推定)
      民族:アルバニア人(92%)、セルビア人(5%)、トルコ人等諸民族(3%)
      言語:アルバニア語(アルバニア人)、セルビア語(セルビア人)等
      宗教:イスラム教(主にアルバニア人)、セルビア正教(セルビア人)等

      今日がお誕生日の人

      • 1902年 - 白洲次郎(しらす じろう)、実業家(~ 1985年

        兵庫県芦屋市生まれ。若くしてイギリスに留学、ケンブリッジに学ぶ。
        第二次世界大戦にあたっては、参戦当初より日本の敗戦を見抜き鶴川に移住、農業に従事する。戦後、吉田茂首相に請われてGHQとの折衝にあたるが、GHQ側の印象は「従順ならざる唯一の日本人」。高官にケンブリッジ仕込みの英語をほめられると、返す刀で「あなたの英語も、もう少し勉強なされば一流になれますよ」とやりこめた。
        日本国憲法の成立に深くかかわり、政界入りを求める声も強かったが、生涯在野を貫き、東北電力などいくつもの会社の経営に携わる。
        晩年までポルシェを乗り回し、軽井沢ゴルフ倶楽部理事長を務めた。「自分の信じた『原則(プリンシプル)』には忠実」で「まことにプリンシプル、プリンシプルと毎日うるさいことであった」と正子夫人。遺言は「葬式無用、戒名不用」。まさに自分の信条(プリンシプル)を貫いた83年の生涯だった。
      白洲次郎
      wikipedia