2022年3月2日 ミニの日
今日は3月2日です。ミニの日です。
「ミニ」をgoogleで調べるとトップに出てくるのは、英国のクルマのミニです。
1994年にBMWの傘下に入りました。当初イギリスのローバーが開発していましたが、経営悪化でBMWはローバーを切り離し、ドイツで開発されるようになりました。生産はイギリスのオックスフォード近郊の旧ローバーのカウリー工場他。ミニの伝統を守るために基本的にイギリスで生産されています。
日本では2001年に発表され、BMW JAPANが3月2日を「ミニの日」と名づけ、2002年3月2日に発売されました。
ミニの日
「ミ(3)ニ(2)」の語呂合せ。冒頭のミニの日とは別です。
ミニチュアや小さいものを愛そうという日。
ミニぶたの日
日本ペットミニぶた普及協会が制定。
「ミ(3)ニ(2)」の語呂合せ。
ミニーマウスの日
3(ミ)2(二)の語呂合わせから、ウォルト・ディズニー・ジャパン株式会社が制定。
中国残留孤児の日
1981(昭和56)年のこの日、中国残留日本人孤児47名が、肉親探しの為に、厚生省の招待で初めて公式に来日しました。このうち29名の身元が判明しました。以降1999年11月まで30回で2116人が、肉親との血縁関係確認に訪日し、2016年8月31日現在、永住帰国を果たした中国残留邦人とその家族は20,911人です。
遠山の金さんの日
1840(天保11)年のこの日、遠山の金さんこと遠山左衛門尉景元が水野忠邦の抜擢により北町奉行に任命された。その後、天保の改革の実施の際に、芝居小屋の廃止など諸案件で老中水野忠邦や目付の鳥居耀蔵と対立。しかし、庶民の評判は良く、当時からすでに『遠山の金さん』ものが上演されました。
遠山景元は青年期の放蕩時代に桜吹雪の彫り物を入れたと伝えられますが、裏付ける史料はありません。
北町奉行所は、東京・丸の内の丸の内トラストタワー本館あたりにありました。N館東側に「北町奉行所跡」の碑が立っています。《日本の旅マガジン》
だれかの誕生日
ダニエル・クレイグ
(1968年、英:俳優)Daniel Wroughton Craig
イングランド・チェスター生まれ。名門ギルドホール音楽演劇学校を卒業後、1992年映画「パワー・オブ・ワン」でデビュー。2005年スパイ映画「007」シリーズの6代目ジェームズ・ボンドに抜擢され、初の金髪のボンド役としてシリーズ21作目「007/カジノロワイヤル」に主演。同作品はシリーズ史上最高の興行成績を上げる。「トゥームレイダー」(2001年)、「レイヤー・ケーキ」(2004年)、「インベーション」「007/慰めの報酬」「ディファイアンス」(2008年)、「ドラゴン・タトゥーの女」(2011年)、「007 スカイフォール」(2012年)などがある。1992年女優のフィオナ・ロードンと結婚したがのち離婚。2011年英女優のレイチェル・ワイズと再婚。
ジョン・ボン・ジョヴィ
(1962年、米:ミュージシャン(Bon Jovi/ヴォーカル))
アメリカ合衆国出身。バンド、ボン・ジョヴィのメンバーとして1984年にアルバム『夜明けのランナウェイ/Bon Jovi』でデビュー。その後数々のヒットを飛ばし世界的なバンドへと成長。ソロとしても1990年にアルバム『ブレイズ・オブ・グローリー』をリリース。俳優としても活躍し、ドラマ『アリーmyラブ』にゲスト出演、映画にも出演している。《オリコンニュース》
吉沢京子
(1954年、女優)
東京都出身。12歳で「劇団ひまわり」に入り、少女モデルとして活躍する。67年、青春映画『燃えろ!太陽』で酒井和歌子の妹役で銀幕デビュー。その後はテレビCMやドラマで人気を博す。アイドル的なはつらつとしたビジュアルを武器に、69年の人気ドラマ『柔道一直線』でヒロイン・高原ミキを演じると一躍青春スターに。NHKでも、長時間ドラマ『祝辞』(作・山田洋次、演出・岡崎栄)などに出演している。日本舞踊、西川流名取。
号外をつくりました。
少し前の今日
マラソン2時間20分以内を100回でギネス
すごいですね。
市民ランナーからプロへ。
コロナ禍でマラソン大会も簡単には参加できなくっています。
勝った負けただけじゃない、マラソンもいいですね。
2021年3月4日 《テレビ東京スポーツ》
プロマラソンランナー川内優輝
ギネス世界記録!走り続けることへの”本音”とは?
原ー最強の市民ランナーから世界の"カワウチ"へ 最強の市民ランナーといわれた川内優輝がまた一つ新たな勲章を手にした。昨年の12月に行われた第51回防府読売マラソン大会で、通算100回目の「サブ20=2時間20分以内に走ること」を達成。その快挙がついにギネス世界記録に認定された。 ー109回の挑戦 輝かしい実績 21年2月に109回目のフルマラソンを走り、2時間7分27秒で8年ぶりに自己記録を更新。「知り合いの48歳が20分を切っていた」と50歳までサブ20達成することの自信をみなぎらせ、改めて生涯現役の姿勢を示した。 ーなぜ走り続ける? これまで4度の世界選手権出場。(19ドーハ、17ロンドン、13モスクワ、11テグ)国内国外 市民大会から世界大会問わず、様々なレースを走り続けてきたことに対して、未来を担う子供たちに、オンリーワンの選手になってほしい。そのためにどこへでもプロランナーとして大会に出場する信念を熱く語った。 ー今後の目標は? 来年は延期となった世界選手権2022(米・ユージーン)が行われる。近年の高速レース化の波に川内は苦戦、2時間10分を切れないレースが続いた。それでも33歳にして再び自己記録を出し、「まだまだ川内可能性あるな」と今回の走りには自信をさらに深めたと語る。 今後は今まで通り福岡、東京、大阪(びわ湖毎日マラソンと統合)など国内主要レースに出場し、再び今の自分を超えることを誓う。持ち味である”最後まで諦めない必死な姿” 。再び大きな世界の舞台でその走りが見たくなる。