2022年2月22日
今日は2月22日です。猫の日です。
愛猫家の学者・文化人が構成する「猫の日制定委員会」がペットフード工業会(現・一般社団法人ペットフード協会)の協力のもと、「猫と一緒に暮らせる幸せに感謝し、猫とともにこの喜びをかみしめる記念日を」という趣旨で1987年に制定した。同年猫の日実行委員会が2月22日に「猫の日フェスティバル」を開催、以降毎年2月22日を“猫の日”として、猫に関する各種のイベントやキャンペーンが行われ、猫に関する啓発活動も行われるようになった。2月22日が選ばれた理由は、猫の鳴き声の「にゃん」「にゃん」「にゃん」と日本語の「2」「2」「2」の語呂合わせにちなんだもので、全国の愛猫家からの公募によって決定した。《Wikipedia》
世界ネコの日(International Cat Day (World Cat Day) は、8月8日です。犬の日は11月1日。
ネコの日制定委員会は現在まったくその所在は不明です。ポプリ研究家で愛猫家の熊井明子氏が発起人らしいです。
世界友情の日
ボーイスカウト・ガールスカウトの創始者ベーデン・パウエル卿(B-P)夫妻の誕生日に因んで、1963年のボーイスカウト世界会議で制定し、1965年から実施。
行政書士記念日
日本行政書士会連合会が制定。
1951(昭和26)年のこの日、「行政書士法」が施行された。
食器洗い乾燥機の日
日本電機工業会が制定。
食器洗い乾燥機によって食後のゆとりができ、夫婦だんらんの時間ができるということから、「ふう(2)ふ(2)にっ(2)こり」の語呂合せ。
ヘッドホンの日
ヘッドホンの情報サイト「ヘッドホンナビ」が制定。
ヘッドホンが左右2チャンネルの出力を持っていることから、2が重なる日を記念日とした。
おでんの日
新潟県のラジオ番組「クチこみラジオ 越後じまんず」が2007(平成19)年に制定。
おでんを食べるときに「フーフーフー」と息を吹きかけることから「フー(2)フー(2)フー(2)」の語呂合せ。
竹島の日 [島根県]
2005年3月16日の島根県議会で記念日を定める条例を制定。
1905(明治38)年のこの日、日本政府が日本海上の島・竹島を島根県の所管とする旨を公示した。
だれかの誕生日
狩野英孝
(1982年、お笑い芸人)
宮城県出身。2003年デビュー。ホスト風のルックスで展開するコントで注目を集め、「爆笑レッドカーペット」(フジテレビ系)や「エンタの神様」(日本テレビ系)といったネタ番組に出演。2009年にはコント番組「爆笑レッドシアター」(フジテレビ系)のレギュラーメンバーに選ばれる。また同年、「ロンドンハーツ」(テレビ朝日・ABCテレビ系)のドッキリ企画をきっかけに50TA名義でアーティストデビュー。翌2010年にアルバム「50TA」をリリースした。サンドウィッチマン、マギー審司、鳥居みゆき、トミドコロと共に「東北魂TV」(BSフジ)にレギュラー出演中。
ドリュー・バリモア Drew Barrymore
(1975年、米:女優)
カリフォルニア州出身。大伯父と大伯母はライオネル、エセル・バリモア。祖父はジョン・バリモア。俳優である父ジョン・ドリュー・バリモアと女優の母、ジャイド・バリモアと言う家系に生まれたバリモア一家出身。生後まもなくしてCMに出演。以後もTVMなどに顔を出し、4歳の時、「アルタード・ステーツ/未知への挑戦」で映画デビュー。82年、「E.T.」のガーティ役で人気を爆発させた。しかし、9歳ころから酒と麻薬に溺れるようになり、14歳の時、自殺未遂をはかるなどしてドン底の生活を送るが、カンバックを果たし94年、「バッド・ガールズ」の撮影中に知り合ったバーのオーナーと結婚したがすぐに離婚。01年にトム・グリーンと結婚するも、こちらも離婚に至っている。近年は「25年目のキス」、「チャーリーズ・エンジェル」など自ら出演しながらプロデューサーとしても活躍している。《allcinema》
陣内智則
(1974年、お笑い芸人)
兵庫県加古川市出身。hNSC大阪校の11期生として入学し、1993年にデビュー。1995年にコンビ・リミテッドを解散してピン芸人に。「爆笑オンエアバトル」(NHK総合)や「エンタの神様」(日本テレビ系)といったネタ番組に出演して人気を博す。2004年には、なるみとの冠レギュラー番組「なるトモ!」(読売テレビ)がスタートし、MCとしての仕事も増加した。「ABCお笑いグランプリ」「R-1ぐらんぷり」といった大会では審査員を務めている。ドラマでの共演が縁で知り合った藤原紀香と2007年2月に結婚。2年1か月後の2009年3月に離婚。2017年に松村未央と再婚。
大藪春彦
(1935年、小説家『蘇える金狼』『野獣死すべし』)[1996年2月26日歿]
旧朝鮮・京城の生まれ。高松一高を経て、早大に進学。射撃部で活躍する傍ら小説を書く。昭和33年在学中に書いた「野獣死すべし」が江戸川乱歩に激賞され、中退して作家生活へ。日本におけるハードボイルド・ミステリーの先駆者。著書は、ほかに「歯には歯を」「蘇える金狼」「汚れた英雄」「傭兵たちの挽歌」など130冊を超える。早稲田大学射撃部コーチもつとめた。亡後、大藪春彦賞が創設された。平成14年世田谷文学館に遺品が寄贈される。《日本人名事典》
アルトゥル・ショーペンハウアー Arthur Schopenhauer
(1788年、独:哲学者)[1860年歿]
ダンツィヒ(現、グダニスク)生れ。裕福な商人の家庭で育つ。父の死後、大学に進み、プラトンとカントを研究。ゲーテと交わり、その後、インド哲学を学んだ。ヨーロッパのペシミズムの源流となった『意志と表象としての世界』(1819)でワーグナー、ニーチェ、トーマス・マンに影響を与える。人生は最悪の世界だとして、そこからの解脱は芸術的静観と仏教的涅槃によるべきだとした。19世紀の厭世的世相に大いに迎えられた。
少し前の今日
南極観測船も新型コロナの影響を受けていました。
いつもなら、オーストラリアから空路帰還する隊員達も、昨年は、どこにも寄らず、2ヵ月を超える洋上生活を耐えて、2021年の今日、無事日本に帰ってきました。
2021年2月22日 《朝日新聞デジタル》
南極観測船しらせが帰国 コロナ禍で初の無補給・無寄港
61次南極観測隊越冬隊28人と62次夏隊13人を乗せた観測船しらせ(基準排水量1万2650トン、竹内周作艦長)が22日、神奈川県横須賀市の横須賀港に帰港した。新型コロナ感染予防のため、1956年に始まった南極観測史上初めて無補給・無寄港で南極を往復した。
例年は豪州に寄って燃料や食料を補給でき、観測隊員は日本と豪州間は空路で往復する。だが、今回は寄港なし。しらせは昨年11月20日に横須賀を出発し、燃料節約のため行動日数を例年の6割の95日間に短縮して、往復約3万キロを走った。万一に備え、出発前に初めて洋上での燃料補給の訓練もしていた。
最も燃料を使うのは砕氷航行だ。衛星画像などで調べて最適な航路を選び、燃料計算をして臨んだが、「氷は生き物。量や質、実際の状況は現場で初めてわかる」と竹内艦長。1年前より氷海は広がっていたが、無事に抜けた時「心の中でガッツポーズをしました」と話す。
62次隊の橋田元隊長は「世界が大きく変わった中でも入念に準備して、60年余り続く観測を無事に引き継ぐことができた」と語った。(中山由美)
《朝日新聞デジタル》