2022年2月13日

今日は2月13日です。

トランジスタの父と呼ばれるウィリアム・ショックレーの誕生日です。
ショックレーはロンドン生まれ。AT&Tのベル研究所でトランジスタを発明し、その業績で1956年にジョン・バーディーン、ウォルター・ブラッテンとともにノーベル物理学賞を受賞。
1955年、サンフランシスコ郊外にショックレー半導体研究所を設立。これをきっかけに同研究所の周辺に半導体産業が集まりだし、今のシリコンバレーです。
ショックレー半導体研究所では、後のインテルの創業者となるロバート・ノイス、ゴードン・ムーアも研究者として働いていました。
この人がいなかったら、今の便利な生活はなかったといってもいいでしょう。

苗字制定記念日

1875(明治8)年のこの日、明治政府が「平民苗字必称義務令」という太政官布告を出し、すべての国民に姓を名乗ることを義務附けた。
江戸時代、苗字を使っていたのは貴族と武士だけだったが、1870(明治3)年9月19日に出された「平民苗字許可令」により、平民も苗字を持つことが許された。しかし、当時国民は明治新政府を信用しておらず、苗字を附けたらそれだけ税金を課せられるのではないかと警戒し、なかなか苗字を名乗ろうとしなかった。そこで明治政府は、1874(明治7)年の佐賀の乱を力で鎮圧するなど強権政府であることを誇示した上で、この年苗字の義務化を断行した。

NISAの日

確定拠出年金教育協会が2013年に、翌2014年から開始される少額投資非課税制度(NISA)のPRのために制定。
「ニーサ(213)」の語呂合せ。

地方公務員法施行記念日

1951(昭和26)年のこの日、「地方公務員法」が施行された。

だれかの誕生日

有村架純

 (1993年、女優,タレント)
兵庫県伊丹市出身。2009年、兵庫県立伊丹西高等学校在学中に、FLaMme(フラーム)のオーディションを受けて合格。2010年1月、サンケイスポーツの「新春ガールズ」が芸能界の初仕事。同年5月、『ハガネの女』でドラマ初出演。2011年1月、東京ディズニーシー「春のキャンパスデーパスポート」でCM初出演、同年11月、『ギャルバサラ -戦国時代は圏外です-』で映画初主演。
2013年、NHK連続テレビ小説『あまちゃん』の好演で脚光を浴びる。映画『思い出のマーニー』(14年)で初の声優。映画『ビリギャル』で第39回日本アカデミー賞優秀主演女優賞および新人俳優賞(15年)、その後も多作品に出演。姉は、タレントの有村藍里。

ヒロミ

 (1965年、タレント、司会者、実業家、レーサー、YouTuber)
東京都八王子生まれ。1986年、ミスターちん、デビット伊東等と共に「B-21 SPECIAL」を結成。若者を中心に絶大な人気を誇り、1990年にゴールデン・アロー賞芸能新人賞を受賞。1993年に歌手・タレントの松本伊代と結婚。日本を代表するMCとして活躍。タレント業の傍ら溶岩浴と加圧トレーニングジムを経営。家具や部屋のリノベーションやリフォームなど多趣味なことでも有名.

出川哲朗

 (1964年、タレント)
神奈川県横浜市出身。同期はウッチャンナンチャン、ダチョウ倶楽部、今田耕司など。リアクション芸人の代表格として多くのバラエティ番組で活躍する。「ヤバい」「ヤバいよ」「リアルに~」など特徴のある口癖が多く、それらを他のタレントから、ものまねされることも多い。
トリビア1987年専門学校時代の同級生だった内村光良と南原清隆、入江雅人らと「劇団SHA・LA・LA」を旗揚げした2004年、元モデル・レースクイーンの阿部瑠理子と結婚。妻からは「くそてつ」と呼ばれている高校時代はヤンキーだった『an・an』の「嫌いな男ランキング」で「殿堂入り」している

矢野顕子

(1955年シンガーソングライター)
東京都生まれ。3歳で青森に転居。中学まで青森市、高校から東京。アメリカ合衆国在住。幼いころからピアノを弾き、高校時代にはジャズクラブで演奏する。1972年頃からセッション奏者として活躍し、1976年にアルバム『JAPANESE GIRL』でデビュー。1979年から1980年にかけては初期Yellow Magic Orchestraのライブメンバーも務めた。1981年にシングル「春咲小紅」がヒット。90年にニューヨーク移住、ライヴ活動を積極的に展開。レイ・ハラカミとの“yanokami”や森山良子との“やもり”、上原ひろみ、奥田民生、大貫妙子らとの共演も多く、絵本の翻訳、声優、CM音楽参加など活動は多岐にわたる。
「矢野」の姓はデビュー当時に矢野誠と婚姻関係にあったため、当時の本名を芸名に使い、それが世に知れ渡ったために離婚後も使っている。歌手の坂本美雨は再婚相手の坂本龍一との間に生まれた長女。

栗本薫(中島梓)

 (1953年、小説家、評論家『グイン・サーガ』『僕らの時代』)1978年乱歩賞[2009年5月26日歿]
東京都葛飾区生まれ。中島梓名で評論などの活動もある。早稲田大学文学部文芸科卒業。1977年、中島梓で発表した《文学の輪郭》で群像新人文学賞受賞。翌年、《ぼくらの時代》で江戸川乱歩賞を受賞、さらに《羽根の折れた天使》(1980年)、《絃の聖域》(1981年)が、それぞれ日本推理作家協会賞、吉川英治文学新人賞を受賞。SF、ファンタージー、ミステリー等々、なんでもこなすエンタテイメント作家として人気を博した。猛烈な多作家で、新刊書は通算400冊を越え、年間20冊以上刊行したことも数度あると言われる。
中島 梓(なかじま あずさ)名義で、評論活動や作詞作曲、ピアノ演奏、ミュージカルの脚本・演出なども手がけた。1979年テレビ朝日系のクイズ番組『象印クイズ ヒントでピント』にレギュラー解答者として出演した。

澁澤榮一

 (1840年、実業家「資本主義の父」)[1931年11月11日歿]
武蔵国榛沢郡血洗島村(埼玉県深谷市)の名主の長男として生まれる。22歳で尊王攘夷運動に参加、横浜の異人館焼き打ちなどを企てた後、京都で徳川慶喜の家臣となる。1867年慶喜の弟昭武に随行してパリ万博に赴き欧米を見学、帰国後徳川家と共に静岡に移住。1969(明治2)年大蔵省に入る。1973年大蔵少輔事務取扱のとき辞職。同年6月第一国立銀行創立時の総監役となり8月開業、頭取として長く経営に当たった。1974年には王子にのちの王子製紙となる抄紙会社を設立、甥大川平三郎に技術部門を担当させた。その後、財界の指導者としての活躍する。
1976年東京会議所(のちの東京商業会議所)会頭、東京・青森を結ぶ日本鉄道会社、最初の本格的紡績企業たる大阪紡績の創立関与した。東京ガス、帝国ホテル、北海道炭鉱鉄道、東洋汽船、京釜鉄道など重要企業の創立に当たっては発起人として旗振り役を務め、財界の指導者、まとめ役の役割を果たした。「論語とソロバン」を両立させるべきだという持論は有名で『論語講話』の著書もある。明治41年には訪米実業団団長として渡米。
大正9(1920)年、積年の功により、子爵を授けられた。
2021年NHK大河ドラマ「青天を衝け」は、この澁澤榮一の生涯を描いたもの。

少し前の今日

アマチュア研究家のお手柄。
こう言う細かいことを研究して成果を出すれている方がいらっしゃるだけでも驚きです。
大きさは1mm以下です。

2021年2月11日 《朝日新聞デジタル》
「千葉石」詳しく調べたら…新鉱物「房総石」を発見

千葉県南房総市から「房総石(せき)」と名付けられた新しい鉱物が見つかった。2011年に報告された「千葉石(せき)」を詳しく調べる中で発見された。主成分は石英と同じ二酸化ケイ素。その中に天然ガス分子を含む特殊な鉱物だ。国立科学博物館などの研究グループによる論文(http://dx.doi.org/10.1180/mgm.2020.91)が専門誌に掲載された。《朝日新聞デジタルから抜粋》

《国立科学博物館プレスリリース》
独立行政法人国立科学博物館(館長:林良博)は、国立研究開発法人産業技術総合研究所、国立大学法人東北大学、千葉県立中央博物館、国立研究開発法人物質・材料研究機構、アマチュア研究家の西久保勝己氏、本間千舟氏、結晶形態研究者の高田雅介氏と共同で、千葉県内で採取された鉱物が新鉱物であることを突き止め、「房総石」と命名しました。
房総石は、同じく千葉県から2011年に報告された新鉱物「千葉石」を詳しく調べる過程で発見されました。千葉石と房総石はともに、ありふれた成分である二酸化ケイ素を主成分としますが、ケイ素原子と酸素原子から構成された「かご」状の結晶構造を持ち、「かご」の内部にはメタンなどの天然ガス分子が閉じ込められています。これらの結晶構造は、水分子による「かご」の中にガス分子が閉じ込められた天然ガスハイドレートと相似形です。
天然ガスハイドレートには、最も量の多いメタンハイドレート(別名I型)の他に、II型、H型と呼ばれる計3種が知られており、千葉石はII型、房総石はH型相当の構造をもちます。房総石は結晶内に天然ガスを閉じ込めたタイムカプセルとみなすことができ、地層中での有機物の分解・脱ガス反応を調べる新たな手がかりになると期待されます。《PRTIMES.jp》