2022年2月12日

今日は2月12日です。

『種の起源』を著したチャールズ・ダーウィンの1809年の誕生日。

ダーウィンの日(Darwin Day)

ダーウィンは、イギリスの自然科学者で、進化生物学を発表したことで有名。全ての生物種が共通の祖先から長い時間をかけて、彼が自然選択と呼んだプロセスを通して進化したことを明らかにした。進化の事実は存命中に科学界と一般大衆に受け入れられた一方で、自然選択の理論が進化の主要な原動力と見なされるようになったのは死後50年たってから。自然選択説は現在でも進化生物学の基盤の一つとなっており、この科学的な発見は修正を施されながら生物多様性に一貫した理論的説明を与え、現代生物学の基盤をなしています。

ダーウィン 50歳前後

ブラジャーの日

ワコールが制定し、現在は日本ボディファッション協会が実施。
1913年のこの日、アメリカ人女性マリー・フェルブ・ジャコブが、ブラジャーの原型となるものの特許を取得した。
ハンカチをリボンで結んだだけという単純なものだった。ブラジャーが発明されるまでは、胸から腰にかけての体型を整える為コルセットで体を締め附けていた。

ペニシリンの日

1941(昭和16)年のこの日、イギリスのオックスフォード大学附属病院が、世界で初めてペニシリンの臨床実験に成功した。
発見されたのは1928年。ブドウ球菌を培養中にカビの胞子がペトリ皿に落ち、カビの周囲のブドウ球菌が溶解しているのに気づいた。ペニシリンは青カビの学名ペニシリウムにちなんだもの。以後動物実験を経て臨床実験に。
ペニシリンは第二次世界大戦中に量産され、戦場で傷つき感染症に罹患した多くの兵士の命を救いました。
発見者のアレクサンダー・フレミング(イギリスの細菌学者)1945年にノーベル生理学医学賞受賞。

ボブスレーの日

1938(昭和13)年のこの日、札幌で初の全日本ボブスレー選手権大会が開かれた。
ボブスレーは「氷上のF1レース」とも呼ばれています。流線型をした鋼鉄製シャーシーのそりに乗り、轟音を立てながら全長約1400m前後の氷の壁を疾走します。オリンピックでは1924年の第1回オリンピック冬季競技大会(シャモニー・モンブラン)から正式競技になりました。
当初は男子だけの競技でしたが、2002年ソルトレークシティー大会から女子2人乗りが新種目として加わり、男子2人乗りと男子4人乗りを合わせて3種目となりました。
「下町ボブスレー」というプロジェクトがありました。大田区の有志が集まってつくったボブスレーですが、ソチ、平昌、北京と3回続けてオリンピックには採用されませんでした。

レトルトカレーの日

大塚食品が制定。
1968(昭和43)年のこの日、日本初のレトルト食品である「ボンカレー」が発売された。

黄ニラ記念日

JA全農おかやまが岡山県の特産の黄ニラのPRのために制定。
「に(2)っこりいい(1)ニ(2)ラ」の語呂合せと、この時期が鍋物などへの需要期であることから。

リンカーン誕生日(Lincoln's Birthday) [アメリカ合衆国の30州]

隷解放宣言を行ったアメリカ合衆国第16代大統領エイブラハム・リンカーンの1809年の誕生日。
奴隷解放に反対していた南部の諸州では、今でも祝日になっていない。2月第1月曜日としている州もある。

菜の花忌

小説家・司馬遼太郎の1996(平成8)年の忌日。
好きだった花に因んで「菜の花忌」と名附けられた。
これとは別に、3月12日の詩人・伊東静雄の忌日も「菜の花忌」と呼ばれている。

だれかの誕生日

榮倉奈々 えいくらなな

 (1988年、モデル,女優)
テレビ系ドラマ『ダンドリ。~Dance☆Drill~』で初主演を務める。以降、NHK朝の連続テレビ小説『瞳』のヒロインや、映画『余命1ヶ月の花嫁』の主演など、様々な作品に出演。2016年8月、俳優の賀来賢人と結婚。2017年6月、第1子を出産。

岡田奈々

 (1959年、女優,歌手) AKB48、STU48の岡田奈々さんとは違います。
岐阜県岐阜市鏡島生まれ。1974年、岐阜市の鶯谷女子高等学校高校1年在学時に、オーディション番組『あなたをスターに!』の第2回チャンピオンとなり、翌1975年5月10日、16歳でシングル『ひとりごと』で歌手としてデビューした。以来ポッキーの初代CMガール、『俺たちの旅』での田中健演ずる中谷隆夫の妹役、1976年のシングル『青春の坂道』のヒットなど、アイドルとして活躍。
20歳となった1979年からは女優業に本格転向。『戦国自衛隊』(1979年)や『里見八犬伝』(1983年)といった全盛期の角川映画や、『スクール☆ウォーズ』(1984年10月 - 1985年4月)などの大映ドラマで活躍した。作家の安部譲二は岡田の熱烈なファンで、自身原作の映画作品『塀の中のプレイ・ボール』に出演依頼をして実現させた。映画、CM、ドラマには幅広く活躍。プライベートでは独身。井上雅博 (1957年、経営者,ヤフー株式会社創業)

植村直己

 (1941年、登山家、冒険家)
兵庫県豊岡市生まれ。明治大学農学部。在学中は山岳部に所属。モン・ブラン(1966年),キリマンジャロ(1966年),アコンカグア(1968年),エベレスト(1970年),デナリ(マッキンリー山)(1970年)の五大陸最高峰登頂(エベレスト以外は単独)を世界で最初になしとげた。1976年、グリーンランドからアラスカまで1万2000キロ走破など2年がかりで北極圏犬ぞり旅を行ない、1978年には犬ぞりを使った北極圏単独行とグリーンランド縦断にも成功。その偉業に対し菊池寛賞と英国のバーラー・イン・スポーツ賞が贈られた。1984年2月、マッキンリーに冬季単独登頂後、消息を絶ってしまった。

武田泰淳 

(1912年、小説家,中国文学者)[1976年10月5日歿]
東京市本郷区東片町(現・東京都文京区)の生まれ。父の師僧・武田芳淳の姓を継ぐ。浦和高校在学中から中国文学に関心を持ち、1931年東大支那文学科に進む。竹内好、岡崎俊夫らと中国文学研究会を創設。1937年、召集され中支戦線でたたかう。1943年「司馬遷―史記の世界」を刊行した。翌年中日文化協会に就職。上海で敗戦を迎え、帰国後、本格的に小説を書き始め、1947年に「審判」「蝮のすゑ」を発表。翌年、「近代文学」同人に参加する。「風媒花」、「ひかりごけ」を刊行し、自己の文学を確立、戦後文学の中核的存在となる。他の主な作品に「森と湖のまつり」「秋風秋雨人を愁殺す」「富士」「快楽(けらく)」、評論「人間・文学・歴史」、エッセイ「滅亡について」などがあり、「武田泰淳全集」(全18巻・別巻3巻 筑摩書房)も刊行されている。

小栗上野介忠順 おぐりこうづけのすけただまさ

 (1827年、幕臣)
父は新潟奉行小栗忠高。安政6年(1859)目付となり、翌万延元年(1860)日米修好通商条約批准書交換使節の一員として渡米した。帰国後は勘定奉行、軍艦奉行等を務め、横須賀製鉄所建設、関税率改訂交渉、軍制改革などの任にあたり、動乱期の困難な幕府財政を支えた。戊辰戦争に際し強硬な抗戦論を主張して罷免され、所領地の上州群馬郡権田村に隠棲したが、新政府軍により捕縛、処刑された。

少し前の今日

口は禍の元。
でも、この方の場合、舌禍というよりも軽い気持での発言、そこに本音がでてしまったのでしょう。
この時点で、本当に東京オリンピックは実現するのか、私は半信半疑というより、ちょっと無理かなと思っていました。

2021年2月11日 《産経新聞》
【東京五輪・パラリンピック組織委員会 森喜朗会長】マスコミによる捏造で辞任

東京五輪・パラリンピック組織委員会の森喜朗会長(83)は12日、女性蔑視と受け取れる発言をした責任を取り、辞任を表明した。今後の焦点は新会長人事に移る。森氏から事実上の後継指名を受け、一度は前向きな姿勢を見せていた日本サッカー協会元会長の川淵三郎氏(84)はこの日、受諾しない考えを表明。後任候補には橋本聖子五輪相(56)らの名前が浮上している。開幕まで半年を切った中、混迷の度合いはさらに深まった。《産経新聞》