2022年2月25日
今日は2月25日です。1890年の今日、エビスビールが発売されました。
サッポロビールの前身である日本麦酒醸造會社に、ドイツ人技師カール・カイザーを招聘して醸造されたビールです。当時の名称は「恵比寿麦酒」でした。当初は「大黒天」から命名しようとしていましたが、横浜に既に「大黒ビール」が存在したために「えびす」(恵比寿) を採用したという経緯が見られる資料が2000年代に発見されています。
1900(明治33)年 パリ萬國博覧會にて出品30カ国の中「金賞」、1904(明治37)年 セントルイス萬國博覧會にて「グランプリ」と国際的にも評価されていました。
1943(昭和18)年にいったん消滅しますが、1971(昭和46)年に復活しました。
サッポロビールの製品ですが、完全に別ブランド化されています。サッポロビールの製品に必ずついている★印はエビスビールにはありません。《ウィキペディア》
今夜はビールにしましょうか。
夕刊紙の日
1969(昭和44)年のこの日、日本初の駅売り専門のタブロイド判夕刊紙『夕刊フジ』が創刊しました。
発行は産経新聞社。関東・近畿での即売が中心。発行日は原則日曜日と祝日と年末年始を除く毎日。
深良用水(ふからようすい、箱根用水)完成の日
1670(寛文10)年のこの日、日本の土木史上重要な意味を持つ深良用水(箱根用水)が完成しました。
湖尻峠に約1200メートルのトンネルを掘って、芦ノ湖の水を富士山麓の数か村に導く用水で、深良村(現在の裾野市)の名主・大庭源之丞らが中心となって5年かけて完成させました。
だれかの誕生日
松本若菜
(1984年、女優)
鳥取県米子市出身。高校1年生(15歳)のときにスカウトされたが、このときは断った。高校で調理師免許、普通自動車運転免許を取得。卒業後、社会人となった後、高校時代に1度断ったオフィスウォーカーに自ら電話し、芸能界入り。2006年3月9日、22歳で上京。2007年、『仮面ライダー電王』で女優デビュー。2008年にTBS敷地内にオープンした「赤坂サカス」のイメージキャラクター「赤坂なでしこ娘」に選ばれ、『赤坂サカス情報 咲かす人 Sacas-Bito』に出演。
2009年、映画『腐女子彼女。』で初主演。2010年5月「とっとりふるさと大使」を委嘱された。
2012年、映画『はなればなれに』(監督下手大輔)が東京国際映画祭に招待された。2017年、映画『愚行録』の演技が評価され第39回ヨコハマ映画祭助演女優賞を受賞。
映画、ドラマ、舞台、バラエティ、CMと幅広く活動している。
中澤佑二
(1978年、サッカー(DF))
埼玉県吉川市出身。三郷工業技術高等学校卒業後に、ブラジルへサッカー留学。アメリカFC(ブラジル)を経て、1998年に現東京ヴェルディに練習生として加入。1999年からプロ契約、同年Jリーグ新人王を獲得し、日本代表初招集。2000年シドニー五輪代表で不動のセンターバックとしてベスト8進出に貢献。2002年横浜F・マリノスに移籍。2004年JリーグMVP。2006年ドイツ、2010年南アフリカW杯連続出場。岡田体制では大会途中までキャプテンとしてチームをけん引。2018年まで横浜F・マリノスで活躍。J1のフィールドプレーヤーでは歴代トップの178試合に連続フル出場記録を持つ。2019年1月現役引退。Jリーグ功労選手賞受賞
寺脇康文
(1962年、俳優)
大阪府出身。岐阜県の高校)卒業後、大学受験に失敗し、アルバイト。働いていたデパートのエスカレーターに乗っている最中、アルバイトの初給料を見ながら、これからの自分は何をやって食べていけるか考え、出た答えが俳優であった。名古屋の俳優養成所でオーディションを受け、合格し入所。
養成所卒業後、上京して1984年に三宅裕司主宰の劇団「スーパー・エキセントリック・シアター」(SET)へ入団。同年11月、SETの第17回目公演『超絶技巧殺人事件』でデビュー。
1987年、同劇団の岸谷五朗、山田幸伸と共にコントユニット・SET隊(せったい)を結成。1994年、岸谷五朗と共にSETを退団し、企画ユニット「地球ゴージャス」を結成。舞台や映画、テレビドラマなど活動の場を広げる。
1996年4月の放送開始から『王様のブランチ』の司会を10年間務めた。
地球ゴージャス公演中(東京公演・地方公演)も生放送、その直後劇場に戻って舞台出演と多忙を極めながらも番組を休むことはなかった。2008年、『相棒』で主演を務める水谷豊と共に第16回橋田賞俳優部門を受賞した。2009年、『相棒 -劇場版- 絶体絶命! 42.195km 東京ビッグシティマラソン』で第32回日本アカデミー賞優秀助演男優賞を受賞。現在も映画、舞台に活動中。
ピエール=オーギュスト・ルノワール Pierre-Auguste Renoir
(1841年、仏:画家)[1919年12月3日歿]
ルノワールは、1841年にフランス中西部の町に生まれました。
13歳の時に磁器工場で働き始め、陶磁の絵付け職人として才能を発揮しますが、産業革命の影響で職を失ってしまいます。それを機に、以前から関心のあった絵画の道を志すようになりました。
1861年にはシャルル・グレールの画塾に入り、印象派の絵画制作を始めます。また、1862年には国立美術学校にも入学しました。戦後、1974年に第1回印象派展を開催。1879年のサロン・ド・パリでは高評価を獲得し、画家としての地位を確立します。1880年代からは新古典主義の影響を受け、さらに独自の画風を確立しました。
晩年のルノワールは、病気に蝕まれながらも創作活動への情熱は冷めず、1919年に亡くなるまで精力的な絵画を描き続けました。《This is media》
少し前の今日
山火事多発 2021年の今頃
栃木県の足利市、群馬県桐生市、茨城県桜川市と昨年のこの時期立て続けに山火事が発生しています。
林野庁によると、2019年に発生した山火事は1391件。2015~2019年の平均月別で見ると、3月が最も多く236件、さらに4、5月も多い時期が続いているとのこと。
なぜこの時期に山火事が多いのかというと、
・落ち葉が多い
・空気が乾燥している
・山に入る人が増えてくる
ことが原因にあるそうですが、出火原因の多くが、たき火、害虫駆除などの火入れ、放火、タバコ、火遊びなど人的なものだそうです。
2021年2月24日 《ANNnewsCH》
群馬・桐生市の山火事 たき火が燃え移った可能性
群馬県桐生市で、25日に発生した山火事の原因がたき火だった可能性が出てきました。警察はたき火が下草に燃え移り、広がった可能性があるとみて調べています。 午前10時ごろ、桐生市黒保根町の山林から火が出て周辺に燃え広がり、現在も消火活動が続いています。 警察によりますと、近くに住む79歳の男性が山林に隣接する空き地でドラム缶の中に杉の葉を入れて燃やしていたところ、周辺の下草に燃え移りました。 男性は消火を試みましたが、山林に燃え移ったとみられています。 男性は両足と顔にやけどを負い病院に運ばれましたが、命に別状はないということです。
《ANNnewsCH》