2022年1月30日

今日は1月30日です。

ひょっとしたら公衆電話のかけ方を知らない若者がいるかもしれません。テキストメッセージが普通で、音声通話などしないという人もいるようです。え、電話って3分10円なんですか、とか言われそうです。写真のような赤電話なんて、ほとんど見かけなくなりましたね。

3分間電話の日

1970(昭和45)年のこの日、公衆電話からの市内通話の料金が3分で10円になった。
それまでは1通話10円で、時間は無制限だった電話の通話料金が3分で10円になった。この日から、東京都心部を皮きりに順次公衆電話から市内通話は「3分打ち切り」が開始された。公衆電話の長話を防止するために行なわれたそうです。
3分打ち切りはけっこう不便だったようです。その後、1972年に市内通話が3分ごとに10円の料金が課金されることになり、通話した時間に応じて硬貨を収納する機能を付加した大形電話機が登場することになり解決しました。1982年には、キャッシュレス時代に対応して、硬貨が全くいらない、プリペイドカード(テレホンカード)が誕生して以降、これらを利用できる公衆電話が設置され、公衆電話が非常に便利になりましたが、1990年代後半から携帯電話やPHSの普及により公衆電話の利用者が減少し、街から、公衆電話が次々と消えていきました。

殉教者の日 [インド]

1948年のこの日、マハトマ・ガンディーが暗殺されました。
“マハトマ・ガンジー”はインドのグジャラート出身の弁護士、宗教家、政治指導者です。
“インド独立の父”と呼ばれ、“マハトマ”とは“偉大なる魂”という意味であり、詩聖タゴール(インドの詩人・思想家。アジア人初のノーベル賞の受賞者でもある)から贈られたとされているガンジーの尊称になります。
インド・パキスタンの分離独立の影響により、宗教暴動が絶えない中で、ガンジーは何度も断食を行うことによって暴動を防ごうと尽力しますが、ヒンドゥー原理主義者から敵対視され、最終的に彼らに襲撃され、その凶弾によって命を落としました。

だれかの誕生日

1951年フィル・コリンズ (英:ミュージシャン(ジェネシス/ヴォーカル・ドラムス))Philip(Phil) David Charles Collins
イングランド・バーネット・ロンドン特別区出身。ジェネシスのドラマーとしてデビュー、その後シンガーも兼ねるフロントマンとなった。ソロとしても数多くのヒットを飛ばし、俳優としても活動した。1970年代後半にはブランドXでも活躍。体調を崩し、『ゴーイング・バック』(2010)を最後に引退を表明。女優のリリー・コリンズは娘。

吉野彰 (1948年、電気工学者)
大阪府生まれ。京都大学工学部卒、同大大学院の修士課程を修了。2005年、大阪大学で工学博士を取得。旭化成工業株式会社に入社。85年にリチウムイオン電池の開発に成功し、イオン二次電池事業グループ長、電池材料事業開発室長などを経て、2017年に同社名誉フェローに就任した。名城大学大学院の教授も務める。リチウムイオン電池開発の功績により、2004年に紫綬褒章を受章。14年に全米工学アカデミーのチャールズ・スターク・ドレイパー賞、2018年に国際科学技術財団の日本国際賞を受賞し、2019年には欧州特許庁の欧州発明家賞、ノーベル化学賞を受賞した。

稲盛和夫 (1932年、経営者,京セラ創業)
鹿児島県生まれ。鹿児島大学工学部卒業。1959年、京都セラミツク株式会社(現・京セラ株式会社)を設立。1971年には株式上場を果たす。1984年、第二電電株式会社(DDI)を設立、全国を網羅する通信ネットワークを作り上げ、2000年、KDD、IDOと合併しKDDI株式会社を設立、名誉会長に就任。2010年には、経営破綻した日本航空の代表取締役会長に就任し、同社を再建。1984年に財団法人稲盛財団を設立し京都賞を創設するなど、人材育成・文化・社会活動にも意欲的に取り組んでいる。

ジーン・ハックマン (1930年、米:俳優)Gene Hackman
カリフォルニア州出身。アメリカ海軍退役後、イリノイ大学でジャーナリズムとTV製作を学び、30代を過ぎてから俳優のキャリアをスタートさせた。「俺たちに明日はない」(1967)でアカデミー助演男優賞にノミネート、「フレンチ・コネクション」でアカデミー主演男優賞。「ミシシッピー・バーニング」でベルリン国際映画祭の銀熊賞クリント・イーストウッド監督「許されざる者」でアカデミー賞とゴールデングローブ賞の助演男優賞、「ザ・ロイヤル・テネンバウムズ」でゴールデングローブ賞主演男優賞。その他出演作多数。

長谷川町子 (1920年、漫画家『サザエさん』)1992年国民栄誉賞(第10号)[1992年5月27日歿]
佐賀県生まれ。14歳で田河水泡氏に弟子入りし、1935年、15歳でマンガ家デビュー。以降、西日本新聞社の編集局絵画課などを経て、1946年、夕刊フクニチに「サザエさん」の連載をはじめる。1951年から74年、途中休載を挟みつつ朝日新聞朝刊に「サザエさん」を長期連載。国民的人気マンガ家となる。1991年、第20回日本漫画家協会賞の文部大臣賞を受賞。1992年、心不全のため死去。直後に国民栄誉賞を受賞。その他の著書に「いじわるばあさん」「エプロンおばさん」「サザエさんうちあけ話」など多数《コミックナタリー

1882年フランクリン・ルーズベルト (米:大統領(32代))Franklin Delano Roosevelt[1945年4月12日歿]
ニューヨーク生まれ。ハーバード大、コロンビア大学法律学校を経て弁護士。1910年州議会議員。ニューヨーク市長を勤めた後、1932年の大統領に。当時、世界恐慌の中でどん底にまで落ちていたアメリカ経済の立て直しを迫られ、アメリカ政府が積極的に経済介入する「ニューディール政策(New Deal)」を実行します。
1936年に再選を果たし、第二次ニューディール政策に取り組みます。さらに諸外国に対し関税を大幅に引き下げるなど保護貿易から自由貿易へと舵を切りました。
こうした政策によって、1929年に始まった世界恐慌は徐々に回復し始め、1936年には、GDPが、1943年に失業率が回復します。第二次世界大戦下の1944年の大統領選においても前例がない4選を果たしますが、1945年4月12日に脳卒中で倒れ、亡くなります。
第26代大統領を務めたセオドア・ルーズベルトは、遠縁の従兄という関係でした。

勝海舟 (1823年、江戸幕府若年寄,元老院議員)[1899年1月21日歿]
1823年、江戸の武士(旗本)の家に生まれ、若い頃から剣術や蘭学に励み、長崎では最新の学問や航海術などを学びました。1860年には蒸気軍艦咸臨丸で米国に渡り、帰国後神戸に海軍の学校設立に尽力。近代国家へ向けた国内の礎作りや海軍の発展などに貢献します。その後、戊辰戦争が始まり、勝海舟は敵方の西郷隆盛と交渉。戦わずに江戸城開城に成功し江戸の町を戦火から守りました。
明治維新後は参議、海軍卿、枢密顧問官を歴任し、伯爵となりました。政治だけでなく、和歌や漢詩など文芸にも秀でていました。《おおた区報218年8月1日号》

去年の今頃

オンライン掲示板レディットの株取引フォーラム「ウォールストリートベッツ」がブレークしていました。投資がわかっていない私は何のことだか、よくわからないけど、この頃ユーザーは200万人、最近では1100万人だそうです。でも株価の乱高下で、同コミュニティの人気にもかげりがでているようです。

2021年1月30日 《朝日新聞デジタル》
素人投資家の反乱、ウォール街揺るがす 格差拡大に憤り

ネット掲示板でつながった素人投資家たちが、狙い撃ちした銘柄に群がって株価の異常な乱高下をもたらし、米ウォール街のプロたちを追い詰めている。政府の直接給付で余ったお金、投資に使える時間、富裕層だけが豊かになっていく現実への反発――。一連の投機騒動は、コロナ不況下で株価だけが高騰する米国経済のゆがみも映し出す。

レイモンド・ジェラルドさん(27)は今月、ネット掲示板「レディット」上で個人投資家が集まるフォーラム「ウォールストリートベッツ」の存在を友人に教わった。米ゲーム販売店・ゲームストップ株の下落によるもうけを狙い、ヘッジファンドなどが大がかりな空売りを仕掛けていることを、そこで知った。「市場での力を悪用し、道徳的に誤っている」と思った。

 みんなで株を買って値をつり上げれば、ヘッジファンドを懲らしめることができるのでは――。最初は冗談のように見えたが、掲示板の書き込みは真剣さを増していく。「よし、やろう」。ジェラルドさんらは、ゲームストップ株の買いに走った。

 今月上旬は20ドル(約2100円)に満たなかった同社株だが、月末にかけて「買いが買いを呼ぶ」状態となった。28日の時間外取引では、いったん500ドル超まで高騰した。


あまりの人気ぶりに、同社株の売買代金が、アップルやテスラなどの有名銘柄を超えて米国市場トップに躍り出る日も。通信機器ノキア(フィンランド)やアメリカン航空などほかの一部の銘柄も個人投資家たちの標的となり、映画館チェーン大手のAMCエンターテインメントは、株価が1日で4倍になるなど局所的なバブルが出現した。《朝日新聞デジタル》

※ウォールストリートベッツは「個人投資家に力を与え、機関投資家に対抗すること」を目的として2012年に設立されたコミュニティだ。情報交換サイト「レディット(Reddit)」の掲示板。