2022年1月22日

今日は1月22日です。

1970年の今日、ボーイング747(ジャンボジェット)が初就航しました。
従来のジェット旅客機の2倍以上の乗客数を誇りました。747の登場で航空業界に大量輸送時代が到来し、庶民にとって高嶺の花だった空の旅、特に海外旅行の大衆化を実現した航空史に残る機体でした。

ジャズの日

JAZZの「JA」がJanuary(1月)の先頭2文字であり、「ZZ」が「22」に似ていることからこの日に。東京都内の老舗ジャズクラブ「バードランド」「サテンドール」「オールオブミークラブ」のオーナーらによる「JAZZ DAY実行委員会」が2001年から実施。
ジャズのファン層の裾野を広げる為に、ライブコンサート等さまなざまPR活動が行われたが、2005年を最後に、活動の情報が見当たらない。ドメイン「jazzday.net」も所有者がいない。

カレーライスの日

全国学校栄養士協議会で1982年の学校給食開始35周年を記念して、子どもに人気があり、栄養面でも優れていることから、給食のメニューをカレーにすることに決められ、1982年のこの日、全国の小中学校で一斉にカレー給食が出されました。現在は、1月22日のカレー給食は行われていないようです。

カレーの日を記念して、日本で唯一のカレー研究情報発信機関である、株式会社カレー総合研究所(代表:井上岳久/東京都渋谷区)が運営するカレー大學は、「カレー・オブ・ザ・イヤー」の2022年版を1月22日にホームページ内で発表します。選考方法は、全国各地にいるカレー大學卒業生による推薦(自薦、他薦問わず)をもとに、厳選な審査を経て決定されます。本年は新型コロナ感染症のリスク回避のため授与式は実施しないとのこと。

毎週金曜日はカレーの日というのが、海上自衛隊。旧海軍の伝統を引き継いでいます。洋上では曜日の感覚がなくなることを防ぐために金曜日のカレーでリセット。毎週月曜日がカレーの日というのが防衛大学校です。この理由は定かでありません。

飛行船の日

1916年のこの日、初の国産飛行船である陸軍の「雄飛号」が、所沢~大阪で実験飛行を行った。飛行船「雄飛号」は所沢を離陸したのち、約4時間をかけて燃料補給地点の豊橋に到着し、そこから約5時間をかけて目的地の大阪に到着した。機体は長さ75メートル、幅25メートルという巨体でした。

統一の日 [ウクライナ]

1919年のこの日、ウクライナ人民共和国と西ウクライナ人民共和国が統一条約に調印した。両国は、それぞれロシア帝国領とオーストリア・ハンガリー二重君主国の領土から独立を宣言していたが、この文書により一つのウクライナ国家への統合が宣言された。


だれかの誕生日

中田英寿 (1977年、サッカー(MF))
山梨県出身。U-17世界選手権、ワールドユース出場を経て、Jリーグ ベルマーレ平塚に入団。1996年、アトランタ五輪、1998年フランスW杯に出場後、イタリアセリエAのA.C.ペルージャに移籍。ユベントスとの開幕戦で2得点。その後、A.S.ローマなど5チーム8シーズンにわたってイタリア、イングランドのトップチームで活躍した。W杯には3大会連続で出場した。2006年、ドイツW杯を最後に29歳で現役を引退。
引退後は、2009年に、伝統文化・工芸などを支援するプロジェクト「REVALUE NIPPON PROJECT」を開始。2015年には、「株式会社 JAPAN CRAFT SAKE COMPANY」を設立し、日本酒に関する様々な事業を展開。現在は、FIFAの国際サッカー評議会(IFAB)諮問委員も務めている。

ダイアン・レイン (1965年、米:女優)
ニューヨーク州ニューヨーク出身。元演劇のコーチの父、母は元モデル。1979年映画デビュー。高い評価を得たが、その後、コッポラ監督の作品に出演、スターとなっていく。日本での人気は海外スターの中でも1,2を争うほどだったが、出演した映画は全米での興行はまったく振わなかった。その後も低迷の時期が続く。2002年、「運命の女」に主演、アカデミーやゴールデングローブ賞にノミネートされ、NY批評家協会賞や全米批評家協会賞。翌2003年の主演作「トスカーナの休日」も全米でヒット、ゴールデングローブ賞にも2年連続ノミネート。完全復活。

リンダ・ブレア (1959年、米:女優『エクソシスト』)
ミズーリ州セントルイス出身。幼い頃からモデルやCMに出演。1970年に映画デビュー。高校在学中に「エクソシスト」のオーデションに参加して合格。悪魔バズズにとりつかれる少女リーガンを大熱演してアカデミー助演賞にノミネート、ゴールデングローブ賞受賞。1977年には続編「エクソシスト2」にも出演した。しかし以降は“リーガン”のイメージがいつも付きまとうと共に作品にも恵まれず、B級ホラーの脇役に甘んじてしまった。1977年に麻薬所持による逮捕歴がある。(allcinemaより)

たかの友梨 (1948年、エステティシャン,美容研究家)
新潟県南魚沼郡出身。

東京では昼は理容師、夜皿洗いなどのアルバイト、帰宅後も美容学校の通信教育の勉強をこなした。理容所を辞め美容師免許を取得。外資系化粧品会社の美容部員に。1972年、エステティックを学ぶため単身渡仏。8ヶ月間の修行を経て帰国後、たかの友梨ビューティクリニックを設立。
一般社団法人エステティックセラピスト協会会長、厚生労働大臣指定学校法人たかの友梨学園たかの友梨美容専門学校理事長、日本肥満学会員、ミス・ユニバース審査員。NPO法人地球こどもクラブ副会長、児童養護施設「鐘の鳴る丘少年の家」および社会福祉法人「鐘の鳴る丘 愛誠会」後援会長。ボランティア・寄付などの社会貢献活動も行っている。

高須克弥 (1945年、美容外科医)
高須クリニック院長。愛知県生まれ。昭和大学医学部卒業。同大学院医学研究科博士課程修了。医学博士。昭和大学医学部客員教授。医療法人社団福祉会高須病院理事長。「YES高須クリニック」のコピーをはじめとして、日本で最も広く知られる美容整形外科ドクター。江戸時代から続く医師の家系に生まれ、大学院在学中から海外へ研修に行き、最新の美容外科技術を学ぶ。「脂肪吸引手術」を日本に紹介し普及させた。金色有功章、紺綬褒章を受章。

大鹽平八郎 (1793年、儒学者,大坂町奉行与力)
寛政5年生まれ。大坂東町奉行所で、邪教事件や賄賂政治処断などに敏腕をふるい名与力と評される。38歳で辞職、私塾洗心洞(せんしんどう)で陽明学を教授。天保の飢饉に際し奉行所に窮民救済を進言するがいれられず、蔵書をうって救済につとめ、天保8年決起するが鎮圧され,3月27日自刃(じじん)。享年45歳。

去年の今日は

青春18きっぷでなじみのある長距離各駅停車。すでに定期運行は終了していたのですが、臨時列車としてときおり運行されていました。

2021年1月22日《共同通信》
【快速・ムーンライトながら】運転終了

JR東日本と東海は22日、夜行列車の快速「ムーンライトながら」(東京―大垣)の運転を終了したと明らかにした。春、夏、冬の臨時列車として走らせてきたが、高速バスとの競合や旧国鉄時代の車両「185系」の老朽化に伴い、今後は運行しないことを決めた。昨年3月29日の上り列車がラストランとなった。
JR東によると、旧国鉄時代からあった普通列車の「大垣夜行」(通称)が、1996年に全席指定の快速「ムーンライトながら」になった。全国のJRの普通・快速列車に1日乗り放題となる「青春18きっぷ」で乗れるため人気を集めた。2009年に定期列車としての運行を終了した。《共同通信》、写真はphtoac。