2023年4月19日 地図の日
4月19日 水曜日
伊能忠敬が北海道の測量に出発した日です。55歳から地図を作り始め、本人は日本全図の完成をみることなくなくなっています。
この地図は、その後100年にわたって使われたといいます。
地図の日(最初の一歩の日)
寛政12(1800)年旧暦閏4月19日、伊能忠敬が蝦夷地の測量に出発した。
伊能忠敬が作った日本地図の正式な名前は「大日本沿海輿地全図」(だいにほんえんかいよちぜんず)といい、忠敬の名前にちなんで「伊能図」(いのうず)とも呼ばれています。
この地図は、実際に伊能忠敬が歩いて測量した上で作られた地図です。実際の測量が主要な道路や海の近くの場所に限られたため、内陸部にはところどころ空白が目立ちますが、海の近くの場所の細かな部分まで正確に記されているのが特徴です。経度に関しては間違いがあるものの、緯度に関しては当時にしては間違いが少なく正確な地図だと言われています。
飼育の日
日本動物園水族館協会が2009年に制定。四(し)一(い)九(く)で「しいく」の語呂合せ。
食育の日
栄養補助食品ミキプルーンなどを販売する三基商事が制定。四(し)一(い)九(く)で「しょくいく」の語呂合せ。
これとは別に毎月19日が政府が制定した「食育の日」になっている。
養育費の日
母子家庭などの支援を行っているNPO・Winkが制定。
2004年のこの日、民事執行法が改正され、それまでは養育費の支払いが遅れるたびに裁判所に給与等の差押えの強制執行を申立てなければならなかったのが、一度の手続きだけで将来に渡って差押えが出来るようになった。
乗馬許可の日
明治4(1871)年旧暦4月19日、それまで武士にのみ認められていた乗馬が庶民にも許可された。
プリムローズ・デー
イギリスの40・42代首相ベンジャミン・ディズレーリの1881年の忌日。プリムローズ(桜草)はディズレーリの好きな花であり、ヴィクトリア女王が宮殿の庭で摘んだプリムローズをよくディズレーリに贈っていたというエピソードからこの名前がついている。
独立宣言の日 [ベネズエラ]
1810年のこの日、カラカス市参事会がベネズエラ総督を追放し、スペインからの独立を宣言した。
ベネズエラ・ボリバル共和国の概要
面積:912,050平方キロメートル(日本の約2.4倍)
人口:2,795万人(2021年、IMF)
首都:カラカス
民族:不明
言語:スペイン語(公用語)及び先住民族の諸言語
宗教:国民の大多数はカトリック
ベネズエラは南米北部の海岸に面し、多様な自然環境に恵まれた国です。カリブ海の沖合には、マルガリータ島やロスロケス諸島などの熱帯のリゾート アイランドが浮かんでいます。北西部にはアンデス山脈がそびえ、植民地時代に作られた町メリダは、シエラネバダ国立公園を訪れる際の拠点にもなっています。首都カラカスは北部に位置しています。
国王誕生日 [スワジランド]
アフリカ南部・スワジランドの現国王・ムスワティ3世の1968年の誕生日。
エスワティニ王国の概要
(旧国名:スワジランド王国)
面積:1.7万平方キロメートル(日本の四国よりやや小さい)
人口:117万人(2021年:世銀)
首都:ムババーネ(Mbabane)
民族:スワティ族、ズールー族、ツォンガ族、シャンガーン族
言語:英語、スワティ語
宗教:伝統宗教、キリスト教
2018年4月19日、アフリカ南部スワジランドで絶対王制を敷く国王ムスワティ3世は、英国からの独立50周年を記念する式典で演説し、国名を「エスワティニ」に変更したと宣言した。地元の言葉で「スワジ人の土地」を意味するという。
「スイス」を英語で発音するとスワジランドと似ており、ムスワティ3世は演説で「外国へ行くたびにスイスと間違われる」と述べ、混乱解消が改名の理由の一つだと指摘した。
スワジランドの「ランド」は英語で、かつての植民地支配に反発する国民からは国名変更を支持する声も上がっている。ムスワティ3世はアフリカ連合(AU)など国際会議の演説でもたびたび国名を「エスワティニ」と読み上げていた
今日がお誕生日の人
- 1987年 - マリア・シャラポワ、元テニス選手、36歳
ロシア シベリア地区のニアガン生まれ。4歳のときからテニスを始める。6歳の時、モスクワでエキジビションの試合に出場してマルチナ ナブラチロバの目に留り、ナブラチロバから米国へ行くのがベストとの忠告を受ける。父ユーリと6歳のマリアは、母を残し、わずか900ドルを持って米国に渡りフロリダのブラーデントンに流れ着いた。ビザとお金の問題で母が合流できたのは2年後であったが、貧乏にたえながらテニスは続け、9歳になってニック ボロテリー テニスアカデミーに入ってさらに上達した。オースチン、ダベンポート、サンプラスを育てた伝説のコーチであるランズドルフのコーチを受けるため、大陸を横断してカリフォルニアまで出向くのもしばしばであった。16歳の2003年のウインブルドン大会では、ドキッチ等を破ってベスト16に進出して注目を集めた。そのプレーぶりだけでなく、その美貌からパパラッチの格好の標的となっている。パパラッチは気にしない彼女だが、彼女の唯一の悩みは、ボールを打つ時に無意識に発する激しい叫び声やかなきり声や悲鳴だ。これについてはランズドルフからも改善指令が出されている。2003年にはジャパンオープンでも優勝したので、日本のファンにもおなじみとなった。
- 1912年 - 源氏鶏太、小説家(~1985年)
- 1935年 - 久世光彦、演出家、作家(~2006年)
- 1937年 - 庄司薫、小説家
- 1945年 - 村野武範、俳優
- 1945年 - 沼田義明、元プロボクサー
- 1968年 - アシュレイ・ジャッド、女優
- 1987年 - マリア・シャラポワ、元テニス選手
- 1988年 - 小嶋陽菜、タレント(元AKB48[8])
- 1990年 - 髙橋礼華、バドミントン選手