2023年2月13日 ピーナッツの連載が終わった日
昨日は春の陽気、でもまた寒さが戻るそうな。この時期は体調管理にご注意。
今日は2月13日月曜日
ピーナッツの連載が終わった日
2000年、前日(2000年2月12日)の作者・チャールズ・M・シュルツの死去により、『ピーナッツ』(日曜版)の連載が終了しました。
シュルツ氏はミネソタ州ミネアポリスの出身。小さい頃から絵の才能に恵まれ、シュルツの絵を見た幼稚園の先生から「あなたは画家になるかもしれないわ」と言われたことがシュルツの心に大きく響いたという。
内気な性格だったが勉強は良くできて、小学校時代に2学年飛び級している。この頃に年上で体格も大きいクラスメイトに仲間はずれにされた経験が、将来のチャーリー・ブラウンの“誕生”に繋がったそうです。
シュルツが13歳の時に飼った雑種の犬の「スパイク」はある程度人間の言葉を理解しているとしか思えないような行動をとったり、かみそりを食べてしまうという変な犬で、後にスヌーピーの原型になりました(「スパイク」という名はスヌーピーの兄弟の名として使われています)。この犬を描いた絵が新聞に掲載され、これが初めて印刷されたシュルツの漫画となりました。
彼の描くピーナッツ』は、コダック社やフォード社がこのキャラクターを使用するまでになり、さらに、テレビアニメ化されエミー賞やピーボディ賞を受賞した。タイム誌やライフ誌の表紙を『ピーナッツ』のキャラクターが飾り、さらには1968年にスヌーピーがアメリカ航空宇宙局の有人飛行計画のマスコットとなり、1969年スヌーピー(のぬいぐるみ)はアポロ10号に乗って月に向かって飛び立ちます(このとき指令船と月着陸船の名前は「チャーリー・ブラウン」と「スヌーピー」だった)。
1999年12月、結腸癌を宣告されていたシュルツは引退を宣言し、引退までの残り1ヶ月程度の原稿を描き上げた。そして2000年2月12日の夜21:30ごろ、77歳でこの世を去りました。それは奇しくも『ピーナッツ』最終回が掲載される前日でした。翌朝の新聞にはその予め用意されたシュルツから読者への感謝とキャラクターたちへの愛情が語られた最終回とともに、シュルツの訃報が伝えられました。
苗字制定記念日
1875(明治8)年のこの日、明治政府が「平民苗字必称義務令」という太政官布告を出し、すべての国民に姓を名乗ることを義務附けた。
江戸時代、苗字を使っていたのは貴族と武士だけだったが、1870(明治3)年9月19日に出された「平民苗字許可令」により、平民も苗字を持つことが許された。しかし、当時国民は明治新政府を信用しておらず、苗字を附けたらそれだけ税金を課せられるのではないかと警戒し、なかなか苗字を名乗ろうとしなかった。そこで明治政府は、1874(明治7)年の佐賀の乱を力で鎮圧するなど強権政府であることを誇示した上で、この年苗字の義務化を断行した。
NISAの日
確定拠出年金教育協会が2013年に、翌2014年から開始される少額投資非課税制度(NISA)のPRのために制定。
「ニーサ(213)」の語呂合せ。
地方公務員法施行記念日
1951(昭和26)年のこの日、「地方公務員法」が施行された。
今日がお誕生日の人
- 1964年 - 出川哲朗、タレント、59歳
実家は横浜市の老舗海苔問屋『つた金海苔店』で、哲朗の家族が経営している。商品の一つとして哲朗の顔写真を使った「元気のりのり」の焼き海苔と味付け海苔が発売されているらしい。高校時代は軟式野球部に所属していた。武相高等学校の後輩にパンチ佐藤、堤下敦がおり、中学の後輩には坪倉由幸、役者下積み時代の仲間にエド・はるみがいる。
俳優としてキャリアをスタートさせ、1990年代に入るとバラエティ番組「ウッチャン・ナンチャン with SHA.LA.LA.」(日本テレビ系)出演をきっかけにタレント活動を本格化。「ビートたけしのお笑いウルトラクイズ」(日本テレビ系)をはじめとするさまざまな番組で体を張り、リアクション芸人としてのポジションを確立。
妻は元レースクイーンの阿部瑠理子。大伯父に八幡製鐵の初代社長を務めた三鬼隆、曾祖父に実業家・政治家の三鬼鑑太郎、母方の遠戚に女優の原節子がいる。